当時わたしたち家族は、横浜市指定の農業区域である神奈川区羽沢町という
のどかなところに住んでいた。
父の会社の社内分譲のマンションだ。
マンションなのでもちろんペットはだめ。わたしが小学生のころ猫をむりやり
飼ってしまったこともあったが。
当時妊娠して身重の猫が、ある日出かけたまま二度と帰ることはなく、
実は母が遠くへ捨てに行ったのだということを何年も後に知らされて
ショックを受けたりして。
それはそうと、ある日、妹が犬を拾って来てしまった。わたしが中学3年の
ころかな。妹が小学6年。
もうすっかり醒めた目で世の中を見ていた当時のわたしは、まだ目も開いて
いない、掌にのってしまう子犬を妹に見せられても、
「確かにかわいいよ。でもうちはマンションだから犬など飼えない。お母さんが
帰ってくる前に捨ててきな。」
と、妹をたしなめるほどに現実的であった。
涙ぐむ妹を説得して捨てに行かせた。それで終わりかと思っていたのだが。
母の帰宅後、その日の出来事をべらべらしゃべるわたしは、
「今日ねー、あっちゃんが犬拾ってきてさ、うちは飼えないからって
捨てさせたよ。」
と早速報告した。母が妹を叱ったり説得する労力を軽減させる、
正しい言動だったと思っていた。
ほどなくして妹が肩を落として帰ってきて、母は妹を慰めるように、
「犬拾って来たんだって?」
と声をかけると、妹は、どんな状況でどんなにかわいい犬でどうして自分が
その犬を選んだのか、などということを事細かにまくしたてた。
「で、どこに捨てて来たの?」
母の問いに妹は泣き出した。捨てられなかったのだ。物置に隠してあるという。
自分の言うことを聞かなかった妹に、わたしは少し腹を立てた。
「連れて来てごらん」
母は問題の子犬を連れてこさせた。見たって情が移るだけじゃん。と、
止めたのだが。
妹の手の上できゅうきゅう鳴いてるその犬を見た瞬間、
「あら、かわいー!!!!」
と母の嬌声。わたしは呆れて、その問題から手を引いた。
出張がちの父はそのときも不在であった。出張から帰って、家族が
増えているのにまず驚き、
「確かにかわいいが」
と、前置きしつつもマンションのルールを破っている事実に
気が気ではなかったようだ。
茶色の子犬にわたしが茶々と名付けた。略称はちゃーとかちゃとか
ちゃーくんとか。
ちゃーはすくすくと育ち、散歩に外へ連れだしていたら勿論ほかの住人にも
見られるわけで、いよいよマンション内の会議にかけられてしまった。
そりゃそーだ。
一介の主婦ではいたくない、アクティブな母は、20軒の、だんな同士が
みんな同じ会社でほとんど社宅状態のそのマンションでの生活に
嫌気が差していたことも手伝ってか、その後数日中に一戸建ての家を
買って来てしまった。
そのときも父は出張中で不在であった。
帰宅した父に、興奮気味の母、
「お父さん、家買っちゃった!」
「なに!?」
1匹の犬のために、ローン返済中のマンションを転売し、
横浜線小机駅徒歩13分の一戸建てに引っ越した。わたしは中学を、
妹は小学校を卒業した春休みに。
そんなこんなで13年、ちゃーは相馬家の一員として生きた。
年老いて白髪が増え茶色くなくなってしまったから、シロと改名されそうに
なったりしながら。
もうこの1年くらいは、わたしがたまに実家に帰っても、飛びついて興奮すれば
死にそうになるくらい、異様に心臓が高鳴っていたし、最後の半年位は
自分の体を考えてか、いつもの興奮したお出迎えはなかった。
今年6月のわたしの誕生日の数日前になんとなく実家を訪れ、なぜか写真を
たくさん撮ったのだ。なんとなく、ほんとになんとなく。
庭先にちゃーの吐しゃ物があるのは気になっていた。母は餌を老犬用に変えたのが
気にくわないらしいと嘆いていた。そしたらその翌日あたりに妹が
ちゃーの体調の異変に気づき、病院に連れて行くと、開腹してみなければ
何とも言えないが、脾臓に腫瘍があるらしいと診断された。
そして、即手術入院。わたしは今のちゃーが手術になど耐えられるわけがないと
直感し、すべてを諦めた。
半年以上、わたしは妹から意図的に連絡を一切絶たれていた。その妹から
ちゃー危篤のメールをもらい、決して病院でうなだれているちゃーのことなど
見たくないから、お見舞いなど行くつもりはなかったが、最後かもしれないと
妹に懇願されて、出かける準備をしていた。手術が進んでいるはずだった。
で、開腹してみたら、肝臓がんだったそうだ。
結局、間に合わず、ちゃーは死んだ。
よかった、見ないで済んだ。
わたしは胸を撫で下ろし、銀座バイトの出勤前に親友のタイ人のジャーと
バンドの相方のギタリストまなびーと綱島のうまい焼き鳥屋、鳥笹で飲んだ。
ジャーとまなびーはその日行われていたサッカーのワールドカップ
日本VSオーストラリア戦に夢中で、ものすごい雷雨の中、わたしの実家の
すぐそばで行われているその試合のことなど、わたしはどこかうわの空で、
泣いたり悲しんだりはしないけど、ちゃーのことを考えていた。
それ以来、妹との絶縁関係は緩和した。ちゃーが死んだ数日後の
わたしの誕生日ライブにも来てくれたし。
ちゃーのテリトリーだった庭は現在妙にがらんとしている。一人娘を嫁に
出したあとに残された夫婦の気分?
悲しくはない。
ちゃーは向こうがわに行った。