神様と踊る人の話。

チャーリーパーカーと共にモダンジャズを創造し、彼に「わたしの心臓 の鼓動を半分受け持っている」と言われた盟友、トランペット奏者のディ ジーガレスピー。多くのジャズファンから神と崇められている。
 わたしがガレスピーをきちんと知ったのは、バーテンの仕事をさせても らっていた「シェルター」の映写機から。マイルスデイビスのライブの後 に、音の出てくるところが真上を向いている奇妙なトランペットを、牛ガ エルのように頬を膨らませて吹くのがディジーガレスピーだった。ちっと もお客さんの来ない、暗いモノトーンのバーで、好んでそのビデオを見て いた。

父のバンドの譜面の多くを書き下ろす、日本を代表するビッグバンド「 宮間利行とニューハード」の作曲・編曲家でありギタリストである山木幸 三郎さんにとっても、ガレスピーは神様なんだそうだ。
 30年にわたって父のバンドである「カウント・セイノウ・オーケスト ラ(CSO)」の譜面を書いてきた山木さんは、法政大学「ニューオレン ジスイングオーケストラ」、海上自衛隊東京音楽隊などにも30年、譜面 を書き続け、快晴、さわやかな芸術の秋に、山木さんへの感謝の気持ちを 込めたこれら3バンドのジョイントコンサート、「Special Thanks to  Mr.K.Yamaki」が開催され、見に行った。
 バンドと山木さんの馴れ染めなどが記載されたパンフレットを見て、幼 い頃からお会いするたびに温かな笑顔で可愛がって下さった山木さんが、 どれだけすごい人なのかを初めて知った。
 モンタレージャズフェスティバルのステージ上で、ガレスピーと踊る山 木さん、ジムホール(g)、グレディテイト(Dr)、ジョーヘンダーソ ン(Ts)らとのツーショット写真。CSO創設の中心となったメンバー の一人である父が、バンドの中でも特に親しく接していただいてきたとい うことも、そのパンフレットを見て知った。

その少し前に開催された、一年に一度行われる、山木さんの絵や小物や アクセサリーの展示販売をロビーに配したCSOのリサイタル会場(第3 8回)で、大人になってから初めて、山木さんとまともにお話をする機会 に恵まれた。
 まだまだお元気で若々しく、お酒も大好きな山木さんも70歳を過ぎた ところで、父は、近頃オリジナルの歌なんぞうたっているわたしのために 、親バカだと恥ずかしくなったが、山木さんにわたしの曲の編曲のお願い をして、いつもライブでやっている馴染みの5曲ほどが、山木さん流のジ ャズアレンジで譜面上のおたまじゃくしになって泳いでいる。まだ、音と して生まれてはいないが。
 譜面を書いてもらったことのお礼を言うと、山木さんは相変わらずの屈 託のない笑顔で、
 「詩がね、ぼくは大変感銘を受けました。お父さんから詩集も渡されて ね、びっくりして」
 などとおっしゃった。寺山修司を思い出した、などとも。
 「せっかく書いてもらった譜面なのですが、まだ聞いてないんです」
 「なんだ、そうなの。早くやってもらいなさいよ」
 CSOの創設メンバーもほとんどの人は去り、バンド内での父のポジシ ョンも昔とは違うのが、見ていてわかる。遠慮があるそうで、20パート ほどにもバラされたビッグバンド用のわたしの曲の譜面は、相馬家にある らしい。

ジョイントコンサートでは、山木さんを囲んだ座談会のようなものもあ り、そこで山木さんが寺山修司と、浅川マキのプロジェクトを手掛けたこ とも知った。
 同じ匂いがした、と山木さんはわたしに言った。なんて恐縮、なんて光 栄。近頃の鬱が少し後退した。
 「続けることだよね。つらくてもやめないで続けることなんだよ」
 様々な尊敬する方から頂いてきた言葉を、山木さんからも頂いてしまっ た。

ちなみにこの3バンド、みんな30年前に、いきなり、誰の紹介もなく 、飛び込みで、譜面の依頼をしたのだそうだ。そういうのを愉快に引き受 ける山木さんの人柄が素敵である。
 ただそのときそのとき積み上げて来ただけなのだという山木さんは、少 年のような目をしていた。


Count Seinow Orchestra 38th RECITAL