ミズビーズアルバムの入稿のため、久しぶりに横浜、長者町を訪れた。
たまたまエンジニアの方に紹介されたオフィスが横浜だったのだ。
土曜日の早い夕方。用事も済み、久しぶりの伊勢佐木モール。時間潰し
にオデオンなる老舗のビルディングの古本屋を目指し、入る。相変わらず
古くさい建物だ。そこがたまらない。よく、中学生の頃、16歳になった
ら絶対にバイクに乗りたいと思い、その中のバイク用品店にヘルメットや
ジャケットや小物を物色しに行ったものだ。しかし、ワンフロアを占領す
るプラモデルショップはまだあったが、その店は撤退していた。代わりに
ブランドリサイクルの店があり、そこでシャツを何枚か買ったら古本屋の
ことはどうでもよくなってしまった。
どこかでまだ1時間も時間を潰さなくてはならなかったが、わたしは迷
わず「JOHN JOHN」へ向かった。
そこへ初めて足を踏み入れたのは高校生のとき。関内駅前のファッショ
ンビル内でウェイトレスのバイトをしていたわたしと、同じフロアの別の
店で働く親友は、22時までの仕事を終えて、お茶でも飲む場所を探して
いた。夜の伊勢佐木モールは、一本裏通りのいかがわしい繁華街を横目に
閑散としていて、仕方がないので「HOT
DOG、BEER、COFFEE&MUSIC」と書かれた店に入り込ん
だ。それが「JOHN
JOHN」。そのとき連れはビールを飲み、わたしはアイスコーヒーを
飲んだ。
今でも一現の客は入りづらそうな店である。そのときは子供でもあった
し、居心地の悪さを感じたが、その店でやけに大人びた友達と夜更かしす
る自分は悪くなかった。いずれ、その店に通う、現・鹿屋「銀河亭」マス
ターがきっかけでおおっぴらにそこで飲むようになるのだが、わたしは「
JOHN
JOHN」でロックやブルースなどの音楽を学ぶのであった。
いつかわたしに宇宙の真理をこっそりと教えてくれたマスターは夜から
の出勤なので、こんな時間にいるわけないのはわかっている。昼用の明る
めの照明になっている「JOHN
JOHN」には、奥さんのレイコさんと、マスターの実の母「ママジョ
ン」がいた。今日は不在だが、マスターの父は「パパジョン」。マスター
がジョンレノン好き、パパジョンがエルトンジョン好きなので「JOHN
JOHN」なんだそうだ。コーラスグループ、サーカスのオリジナル曲
にもなっているらしい、横浜伊勢佐木町で今年32年になる老舗である。
滅多にお会いすることのなかったママジョンは、人懐っこい笑顔で話し
かけてくる。
「お元気ですか?」
彼女はもう80になるんだそうだ。腰も曲がってないし、耳も遠くない
。白内障の手術をしたらしいが、それ以外はいたって健康らしい。パパジ
ョンは89(!)。火曜日は深夜まで店に出ているという。
ママジョンの、パパジョンに関してのノロケ話を聞かされる。まるで少
女のように、「パパジョンがね」とノロケる。かわいらしい。
パパジョンとの馴れ染めからJOHN
JOHNがオープンするまでの秘話、安藤家の歴史など、かなりディー
プな話をわずかな時間にたくさん聞き出してしまった。
その夜は予定通り、小学校のときの同級生と初めて飲んだ。関内という
街のなかで「JOHN
JOHN」のような存在になるべく営業をつづけるいくつかの飲み屋を
ハシゴする。結局、彼女らとは18年振りにまともに話すのだが、それら
の飲み屋を通じた共通の知り合いもたくさんいたりして、実に愉快なひと
ときであった。そこが自分の地元だということを強く実感した一日であっ
た。
明け方の東横線で、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読み終
えた。
嗚呼、青春・・・