インタビュー

ミズビーズのミニアルバムが完成した。初めてのアルバムリリース記念 企画、ミズビーズの軌跡から曲の解説までをここに一挙公開。

(企画:伽藍)

−−まずはおめでとうございます。
mizka(以下m)「ありがとうございます。ってもただの自主制作なんですけど」
−−こんなに長いことバンドをやっていて1枚の作品もなかったという方 が不思議です。歌い始めてから現在に至るまでのお話を聞かせてください。
m「初めてバンドで歌ったのが高校入学してすぐ。高校では軽音部に入ってバンドをやるつもりでいましたから、入学してすぐに同級生で軽音部に入部希望の子を見つけて、それがうまい具合に各パート揃ってというか、わたしの口車に乗せてその気にさせてメンバー集めて、まずは女の子バンドを作りました。」
−−当時はバンドブームでしたよね。やはりなんかのコピーバンドから?
m「最初はビートルズでした。『Can't Buy Me Love』とか『A Hard Days Night』をやりましたね。全員初心者で、とっても物足りなくて、すぐにやめてしまいました。それで男の子の方が断然楽器は上手でしたから、かき集めてバンドつくってその後はずーっと紅一点。PEARLというバンドのコピーや、最後の文化祭ではSHOW−YAのコピーとかしました(笑)。バンドブームで軽音部がわりと盛んだったんで、定期演奏会みたいなのが学園祭のほかにもありましたね。あと横浜のライブハウスにはよく出ました。石川町の『ジンジニー』、新横浜『スペースオルタ』なんかにはよく出てましたね。横浜『CLUB24』なんかでは高校生以外のバンド仲間の知り合いがたくさんできました。」
−−オリジナル曲もやっていたのですか?
m「当時は数曲です。在学中にバンドで作った曲を横浜ハイスクールホットウェーブフェスティバル(注:高校生による高校生のためのイベントで、当時は本大会が横浜スタジアム)というのに出したら本選に残って。」
−−どのくらいの倍率だったんですか。
m「その年は1600本のデモテープの中から、書類審査、スタジオライブ審査、関東地区大会を経て本大会に出たのが20バンド。」
−−かなりの倍率ですね。横浜スタジアムってすごいですね。
m「でしょ。観客が3万人。しかもアミダくじでトリになって、わたしたちの出番のときだけ雨なんか降って来て、ドラマチックに熱いステージを・・・。すごいスターになった気分でしたよ。」
−−うぬぼれそうですね(笑)。
m「まったくです(笑)。なにか賞をもらったとかはないんですけど、多分1番熱かったですね、その日。」
−−プロを目指していたんですか?
m「そうですね、バンドを始める前からそう思ってました(笑)。だからメンバーには厳しくて。やる気あんの?とかってよく責めてましたね。みんな青春の1ページなだけなのに。あ、でも当時のメンバー、一人だけまだギター弾いてるみたいですよ。彼はうまかったからなー。音楽的には合わなかったけど、高校生で最強のバンドつくるってとこで一致していた仲間でした。」

−−高校卒業後の進路ですが。
m「当然フリーターですよ。実にさまざまなバイトしました(笑)。当時のバンドでどうこうするつもりはなかったんで、もっとその気のあるバンドに加入しようと、スタジオとかに張り紙して。『当方女性ボーカル加入希望、または全パート募集。完全プロ志向、初心者不可』みたいな(笑)。『プレイヤー』とかにも載せました。」
−−相当アクティブですね。
m「ね。今思うと。結構いろんなバンドに参加しましたよ。どれもこれも正式メンバーにはならなかったんですけど。そのときボーカルの穴埋めを探していた横浜のキャバレーのバンドの人から声がかかって」
−−キャバレー?
m「昔ながらのキャバレーで、フルバンドと普通の歌謡コーラスバンドが順番に演奏して、お客さんとホステスさんを踊らすんですよ。」
−−すごそうな世界ですね!
m「楽屋がまかない用の食堂の脇にあって、どっかでホステスさん同士がドレスを取り合ってる(笑)。ホステスさんも長いことその世界にいそうな、年季の入った方ばかりで。深夜の中華街のナイトクラブも合わせて1日7回ステージをやってました。いまもそのキャバレーあるから驚きです。」

19歳のmizka、そこでは50年代のポップスナンバーなどを歌う。 (美空ひばりやテレサテンもレパートリーだったそうだ(笑)。) そのバンドのバンドマスターの先輩なる人物に引き抜かれ、米軍キ ャンプや地方のクラブなどの仕事を拾いでこなす、アメリカンポップスの バンドに加入。その辺りの話は伽藍随想録にも登場。

(参照→)「旅とお風呂と男と女」

m「厳しかったですよ。いわば芸の世界ですから。旅から旅だし、ヤクザみたいなバンマスだったし。今ではいい思い出ですけどね。」
−−そこでギターの佐々木学さんと出会うわけですが。
m「彼の叔父さんがギタリストで、元・東京ビートルズ!バンマスと仲良かったんです。よく一緒に仕事しました。そこに学くんが叔父さんに連れられてやってきて。」
−−最初の印象はどうでしたか?
m「すこぶるよかったですよ。最初から彼のギターは好きだった。旅の仕事のときも、毎日同じ顔つきあわせてるとストレスじゃないですか。学くんにみんな癒されてましたよ。おもしろいから、彼。わたしはだいぶ救われてましたね、彼の存在に。一緒に仕事をしてたのは1年くらいなんですけどね。わたし、先にやめちゃいましたから。」
−−ミズビーズを立ち上げるのはだいぶ経ってからと聞きました。
m「バンドの仕事やめて6,7年は経ってたんじゃないかな。学くんが彼女を連れて遊びに来るようになって。わたしはだいぶ年上の方たちとオリジナルバンドやってました。彼はバンドの仕事を辞めたあとしばらくはギターを弾かなかったみたいです。わたしも1年は歌わなかったけどね。で、わたしのオリジナルバンドのライブ見てまたギターを弾く気になったみたいですけど、荒れてましたよ、当時、彼。」
−−荒れてた?
m「どっかで酔って絡んで逆にボコボコにやられて、すんごい顔してたことがあった。当時のことは本人に聞くとおもしろいよ。タコ部屋みたいなとこに詰め込まれて不本意な仕事とかしてたみたいだし(笑)。パジャマのまま逃げ出したとか聞いたことありますよ。」
−−まじで?
m「学校まともに行かずにギター少年だった時代の話もおもしろいし、彼のギターには普通の人にはない人生のスパイスが効いてるんですよ。うまいヘタで言えばうまいギタリストってたくさんいるんだろうけど、学くんほどわたしを魅了するギタリストはいないですね。最近はいろいろ文句言われるんでもうやなんですけど(笑)。」

●全曲紹介
−−歌詞について解説してください。まずはターボさんのカウントで始ま る『午前4時』。
m「よくライブでは不倫の歌だと言っています(笑)。」
−−これ以上の説明は不用ですね(笑)。では、次。『空(くう)』。ミズビーズの代表作ということになっていますが。
m「そうなんですよ!アルバムタイトルにするつもりだったのに。」
−−よく空(くう)の思想について語っているとお聞きしましたが。
m「そんな大それたこと言いませんよ。ただ、すべては空っぽだというペシミスティックな考えが根底にあって、ではこの空っぽな人生はなんのために?とか考えて、みんなにわかるようにうまくは説明できないんですけど自分の中には答えがあって。全体的にそんなことを歌っています。『空(くう)』と『瞑想(meditation)』に関しては、エクスタシーについて歌っているつもりです。瞑想っていうのはある種のエクスタシーを得るためのマスターベーションですし。悟りを得ることを目的にしないで生きているわたしたちには、性的なエクスタシーが悟りに近いと思うんですよ。宇宙や悟りの話は理解できなくても、セックスの話なら理解できるじゃないですか。」
−−なんだか宗教チックなキーワードが多い気がします。『カルマ論』な んかもそうですけど。
m「その辺に関しては、伽藍の中の随想録でも書いたことがありますが、神のこととか宗教のことは手塚治虫の漫画にはまってから(笑)いろいろ考えさせられまして。ボブマーレーとかにも考えさせられた。」
−−と言ってもメッセージ色のある音楽では決してありませんよね。
m「ですね。ふつう音楽でスターになりたいと思うとしたら、わたしはブラックホールになりたいと思うので(笑)。ブラックホールって穴ではなくて、引力が強すぎて光さえも吸いこんでしまう1つの惑星なんですよ。わたしそういう恐ろしい惑星になりたいなあ。吸いこまれたら二度と出て 来れないの。」
−−『わるい夢』は?
m「恋という感情はただの発情だという極論ですね。やりたいのにやれなくて悶々とする歌が「わるい夢」(笑)。わたしなりの悶々を表現すると『背骨のカタチを憶えさせて』ってことなんですね。」
−−最後『カルマ論』。
m「これはボーナストラックって感じですね。全体的に楽器編成も同じで曲も同じに聞こえてしまうから、このメンバーでフルアルバムつくるってのはできないんです。5曲でもしつこい。お腹いっぱいって感じに自分で感じるんで、『カルマ論』はパスタも肉も食べたイタリアンのフルコースの最後にフルーツやアイスなんかではなくティラミス行っちゃったみたいなへヴィさがありますよね(笑)。でもおいしかったからいいかって感じてもらえれば成功かな。」

 レコーディング秘話は伽藍随想録に詳しい。

(参照→)「レコーディング」

−−『瞑想(meditation)』はパーカッションが入ってますね。
m「そう、同じ編成で続けてたらまったりするでしょ。どうしようかねって言ってたら、エンジニアの佐藤さんのアシスタントの方がパーカッショニストで、急遽。椅子かわりにもなるただのハコみたいな太鼓と、足首に鈴つけてましたね。彼のおかげで助かりましたよ。ちょっと変化がついた。」
−−次のアルバムとかは?
m「楽器やメンバーの変動はあるでしょうね。ただやっぱりライブが基本みたいな考えがあるから、今回のような自主制作での大掛かりなレコーディングはしばらくはないですね。歌うこと自体は大したことなくて、それ以外の雑務が大変でした。でも良い経験になりましたね。」

●ジャケット制作秘話
−−タイトルの『脱出レバー』とは?
m「わからない。デザインの小島さんの直感みたいな、ヒラメキみたいなものです。最初はわたしの写真をポートレートのように撮ってまとめるって予定だったのに、こんな渋いジャケになっちゃって。」
−−自主制作盤ということですべてを自分たちでまかなうわけですが、デザインの小島さん、写真の宮永さんとの出会いもユニークだったと聞いています。
m「バンドの仕事やめてからしばらくバイクで放浪していて、宮永くんとは石垣島のキャンプ場で出会いました。仕事で写真を撮っているのだけど映画を撮りたいとかって言っていて。それが夢というより現実的にアクションしていて、惹かれました。いつか一緒に仕事したいな、と勝手に思って。今回は時間もなく、数年振りに一度打ち合わせで会ったきりで仕上がりまで行ってしまいましたが、彼の作品で作れてとても満足しています。」
−−デザインのアイデアは小島さんですね?
m「小島さんとは、わたしが追いかけているインドの楽器の人のライブで相席になったばかりにお友達になってしまいました(笑)。職業がグラフィックデザイナーと言うので興味津々で。さすがにアイデアでごはん食べてるだけあって、発想も考え方も面白い。二人には、今回ミズビーズの音を知り合ってから初めて聞いてもらったんですけど、小島さんが、朽ちているプロダクトシリーズにしよう!とかって言い出して。びっくりするようなビジュアルシリーズ、例えば爆発?とか。ジャケットに関してはお二人に丸投げでした。彼らの仕事は気に入っています。タダ働きなのにあり がたいです。」
−−『脱出レバー』というタイトルに関しては?
m「わたしいわゆる修行僧のような修行はしてないけど解脱したいんですよー。輪廻転生があるとしたら、もう生まれ変わりたくない。地球には戦争や環境問題などいろいろあるし(笑)。無責任に物言っていいならそれが本心ですね。解脱への脱出レバーがあるとして、このアルバムがそれだったらいいなと、小島さんのヒラメキに呼応してそんな願望が生まれました。とかいって輪廻も解脱もないのかもしれないんだけどね。」

−−今後の活動は?
m「いろんな人に聞かれるけど、困ってるんです。わたしは、歌ってもいたいけど書いたり喋ったりもしたい。自分のことばで表現したい。そのためにはいろんな経験が必要で、日々を重ねて行くのが修行。自分のやっていることが自然に流れて行くのを見守っていたいですね。ライブは続けるし、曲も書き続ける。でもどうなって行くかはわからない。好きなことだから、長く続けたいですね。あと憧れているミュージシャンと音を出したい。これからもいろんな人と出会い続けたいです。」

2003年7月4日