月経

月に一度わたしに死がやって来る。どうしようもない絶望と苛立ちとやるせなさの嵐をくぐり抜けるとわたしの脚の間から血が滴り落ちる。わたしは安堵する。消滅を促そうとする精神状態は、生を受けることのなかったわたしの卵の悲痛な叫びによるものであって、わたしの本心ではないことに。
 わたしは毎月死を感じている。死に行くものの、生への執着によってもたらされる苦しさと切なさ・・・
 しかしわたし自身は死を恐れているか?答えは否、である。

死ぬことを「仏に成る」と言う。生というものは生き物に与えられた、仏になるための修行の場であるという。生き切ったすべての者が仏になる。わたしは未だ仏になる資格がないから生きているのだとも言える。そう考えると、若くして逝ってしまうのは一歩リード。まだこの世での仕事があるから、わたしたちは生きる。自殺とは仕事の放棄であって、決してリセットにはあらず。わたしは体を与えられて、この生に与えられた仕事をこなす。それは宇宙という全体の、地球というひとつの臓器のなかで、善玉細胞として働くこと。わたしが関わったひとたちが、わたしによって浄化されて同じ善玉細胞になって行けば良い。そしてわたしも、誰かと関わることによって更にパワーアップして行けば良い。

でもわたしのからだの中で生まれて死に行く命がある。その哀れさにわたしは涙する。時にはその切なさに引き込まれ、虚しさから消滅を望むことがある。その痛みが頂点に達するとわたしに月経が訪れる。そして、安堵。わたしのせいじゃない。放棄を望んでしまうことは。下着を汚す赤。いとおしい生命のサイクル。