バイト先の同じフロアにゲイバーができた。オープン前に挨拶にやってきたのは相当男前な「ママ」。うちの店長に挨拶しているところを覗きに行って興味を示したら、「オカマでぇす」とこちらにも声を掛けてくれる。イイ男。こんなイイ男がどうしてオカマに?オープンしてからは着物やドレスを着ているが、ほかの従業員は女装をするのではない、普通に男装。ニューハーフではなくオカマ?けっこうはやっていて、楽しそうだ。わたしはそのような世界の人が好きだ。それは自分がその性に生まれたことを当たり前に受け止めて流されるままに生きるのではなく、いかなる原因があったにせよ、自ら選択した性を自覚して生きているから。
わたしの愛すべき友人の一人に、性転換を済ませて長いこと経つニューハーフの方がいる。出会ってすぐ、わずかな時間で急激に仲良くなった。生まれ持った性を捨ててしまう選択をするまでに、どれだけの苦悩があったのかが会話の中から汲み取れた。そして彼はその苦悩をショウとすることで生きたのだ。銀座では完全な女性として働いていたこともあったという彼は頭脳も明晰、英語、フランス語が堪能。かつてはアメリカの空軍でテストパイロットをしていたこともあるそうだ。彼はピアノを弾いて歌う。ジャズやシャンソン。激的な人生を送った歌うたいは人の心を揺らす。素晴らしい歌声。でも彼?彼女?は、女性とその幼子を養うためにショウの仕事を辞め、男性として作業服を着て働いた。彼は性器を切り落としてもなお、男であることを求められた。フィギュアペニスで彼女を満たさなくてはならなかった。
いまは一人になった彼。ただの女同士みたいな会話をしながら、わたしは時折、彼は男であることから「逃げた」のだと感じ、「ペニスを切り落としたからといって、あなたは女にはなれない」と責めた。卵に翻弄されて生きている女の気持ちがわかりますか?って。わたしは彼にメスではなくオスを感じるのだ。でも彼は女になりたかったのではなく、性別から解放されたかったのだと思う。進化した、まさしくニューハーフ。
性同一性障害が社会的に認知され始め、ゲイやレズビアンのカミングアウトもめずらしくなくなってきた。本来のセクシャリティから逸脱する時代がすぐそこまで来ていることを実感する。わたしは女という性を受け、女として生きてきた。そのことについて深く考える。わたしは性的なレズビアンではないが、誰かを思う気持ちに性別の隔たりはない。男だから愛するのではない、女だから愛さないということではない。
思春期の頃は、女性であるというだけで男性から性的対象として見られることについて、違和感を感じていた。女であることを恥じることさえあった。しかし完全なるフェミニストには滑稽さを感じ、いまでは女であることを商売にして生活している。その矛盾。メス度を上げれば上げるほど、楽に生きられる。女らしくあることを「ずるい」と感じる。
「瑞加ちゃんは損や」
いつもわたしを分析するお客さまがいる。
「賢い女は損や。女は少しくらいもの知らん方がいいって。勝たせてくれる女がいいんやって」
わたしは納得する。だから甘えた声を出す。そしてそんな自分に時々虫酸が走る思いがする。ただ綺麗におめかしして笑っていればいいなんて。女性の地位確立にはまだ少し時間がかかるようで。
天使には性差がないんだそうだ。そうなるとニューハーフは天使か。
わたしは心の中にペニスを持っている。