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ジャズトランペットを趣味で、それでも30年も40年も続けている父は、わたしにピアノを習わせた。わたしが三歳のころのことだ。
2Kの小さな社宅から社内分譲のマンションへ越し、娘のために頑張ってピアノまで買った父は、
平日を忙しく働き、週末は自分のバンドのコンサートやら練習やらに出掛ける。
母は今でも父のバンド内で、趣味に傾倒する夫を支える良き妻の鏡と言われている。
おかげで我が家は母子家庭状態だった。
ある日、病院に連れて行かれた。耳が遠かったようだ。アデノイドという病気で、入院して手術をした。退院して幼稚園に復活すると、耳がよく聞こえるようになったからか、急に歌が大好きになった。
当時、近所ではピアノ大ブーム。お友達の将来の夢は、みんなピアノの先生。
わたしは当時からあまのじゃくだったようで、みんなと同じがいやだから、ピアニストと答えていた気がる。
小学校では歌手か漫才師。とにかく目立ちたがりで、でも、学級委員には立候補したりせず
推薦されるのを待つような、いやらしい子だった。鼓笛隊の指揮もやったし、生徒会委員もやった。
ピアノは、小学校高学年から始めたバスケットを中学でも続けることにしたため、多忙と怪我の多さを理由にやめてしまった。というより、とにかく練習が嫌いで、レッスンの前日にささっと弾いて騙し騙し、先生に怒られないようにピアノを弾いているという感じだったので。先生は、惜しいと言ってくれたけれども。
父は日曜日、遅い朝食のあと、サイフォンでコーヒーをいれてジャズのレコードを聞いた。
そのコーヒーの匂いと、暖かな日差しと、心地よい音楽の感じを今でも覚えている。
でもそれが誰のレコードなのかは知らない。父は、そういった意味ではジャズなど教えてはくれなかった。
中学2年のとき、教育実習で来ていた先生が、カルメンマキ&OZの"ラストライブ"というレコードを貸してくれた。
それは衝撃だった。そこから、マキが崇拝するというジャニスジョプリンを知る。
ジャニスはわたしの生まれる3年も前に、27歳で死んでいる。
時を超えて、その歌声で叫びでわたしを泣かせる事実。そういったことにやられてしまった。
まだ叫んだこともないのに、死んだ後も生き続けるような人生でなくてはならない、と焦った。
そのころやけに大人びた親友の影響で、山田詠美やら村上龍やらを読み耽っていたわたしは
気怠い大人にあこがれて、煙草をふかしバーで酒を飲むということを弱冠15歳にしてやってのけた。いやな子だ。
"格好いいこととはなにか"ってことを、いつも考えている。それはいまでも変わっていない。
両親は、本音を言えば、普通に大学を卒業し、お勤めをして、普通に結婚して欲しかったようだ。
いまなら、それがわかる。女ならそれが一番幸せだっつーの。
でも、最近はこの格好わるい自分が好きだ。なんか、いつもどこかで、もがいている。どうしようもない。
それから解放されることはないって、気づいてしまった。
わたしが歌うということは、そういった、もがきの際のあえぎなのかも知れない。
歌ってなければいられないなんて、こんな格好わるいことはない。
ジャニスは若くして死ねていいなぁ。
生きて行くことは恥ずかしい。