夜の住人

あの人とわたしは寝てばかりいる。わたしは、情を交わすときの彼のことしか知らない。わたしたちが一緒に太陽を見ることはない。わたしは、夜の住人。
 彼に関する情報は、いまだこの手に触れられるものだけ。けれどもいつしか、こんなにもいとおしい。彼はわたしの知らないカタチややり方で、わたしの外側からこころを手に入れた。

わたしたちは、わたしの大好きな、幻のような夜の中でしか、なにも作り出せない。作り出すものは、体温と体温を重ね合わせて、一つに一体化させた肉のかたまり。やわらかくて、ぬらぬらして、一部分だけ固い。
 さやさや、しっとりとした皮膚の表面を手のひらで撫でる。あの人の、慣れた指使いに溺れながら。口づけのシャワーが耳元で始まると、世界が濡れる。あの人の息遣い色に染まった世界のどこか遠くで、確信犯的に、快楽を呼び起こすボタンがいくつも同時に押される。同時多発テロ。どこにつかまっていれば良いのかしらね。台風のように激しく、快楽の風が吹き荒れる。彼は心地よさを白状するようにと迫る。たたみ掛けるように、どっち、と命令口調で迫る。最中に何度も訊く、あの人の口癖。

あの人は、そんなにもわたしを鳴かせておいて、
 「セックスなんて本当はしたくないんだよ。」
 などと言う。わたしは彼の、わたし味のそれをいとおしみながら、深く同意する。
彼は闇雲に果てたりはせず、わたしも多くを求めない。こんな快楽には果てがないことを、わたしたちは知っている。
 「初めて、しなくてもいいって思う女に出会ったんだ。」
 「ふうん。わたしはあなたと会うのは、それのみの理由からだけど。」
 わたしは悪びれずに言う。
 「ひどいな、それ。」
 「あなたがそうやってわたしを手に入れたんじゃない。」 
 時間が許す限り、濡れる戯れを施し合い、マンションの向かいの公園で飼われているニワトリの、新しい一日を知らせる鳴き声が聞こえて来ると、少しだけ後ろめたくなって、止める。
 「今度はセックスなしで会いたいな。」
 彼はわたしのふくらみの先端を口に含みながら言う。
 「わたしは、あなたのセックスにしか興味がないな。」
 「ひどいな、それ。」

彼のことをよく知らない。でも、わたしを愛でることに長けているあの人を、とてもいとおしいと思う。その感情以外になにが必要だと言うのだろう?欲しいと思う、この純粋で原始的な感情。
 わたしたちは、間違えて「愛」などという言葉を使ってしまったりして、一瞬顔を見合わせて、言葉に詰まる。
 まるで本当に愛し合う恋人同士のように、何度も何度も口唇を押しつけ合っては貪りあう。きちんと、わたしは彼を愛していると思う。こんな瞬間は。

「帰るよ。」
 わたしは、それまでの余韻をぼんやりと愉しみながら、日常生活の待っている、日の当たる場所へ還って行かんとするあの人を、なんの感情も交えず眺める。準備の整った彼に、別れ際抱き寄せられると、あの人のシャツからは、お陽さまに当たった洗濯物の匂い。幸せの匂い。わたしは洗濯物を太陽の下に干したり、彼のシャツにアイロンを当てたりする彼の妻をもいとおしく思う。
 「お幸せに。」
 わたしの別れ際の挨拶は、いつだって皮肉ではなく、こうだ。あの人は少し寂しそうに笑う。
 それで、わたしは夜に還る。


この物語はフィクションであり、登場人物等は全て架空のものです。